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昔むかし、細川藤孝(ほそかわふじたか、後の幽斎)と忠興(ただおき、細川ガラシャの夫)の父子は、織田信長の命を受けて、明智光秀とともに丹後を平定しました。 その功績によって天正8年(西暦1580年)に信長から丹後国を与えられ、宮津城と田辺城(舞鶴城)を建てて父子共々この丹後地域を統治することになりました。 その後、本能寺の変で信長が討たれた事を知った藤孝は深く悲しみ髪を切って隠居の身となり幽斎玄旨(ゆうさいげんし)と称して田辺城に住むようになったのです。 細川幽斎は、剣法を塚原卜伝に学び、波々伯部貞弘から弓術の印可を受け、弓馬故実を武田信富から相伝されるなど武将として秀でていただけでなく、若くして歌道や連歌の道を学び、「古今伝授」を受けて和歌の伝統を継ぎ、茶道、料理、音曲、刀剣鑑定、有職故実などあらゆる学問、芸能の奥義を極めるなど当代随一の文人としても名高く、文芸に関する数多くの著述を残しています。 |
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