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中院通勝(なかのいんみちかつ)が京都より左遷されて舞鶴にいたとき、城主の細川幽斎は湾内にある小さな島に庵をつくり住まわせていました。 ある年の暮れ、幽斎は通勝を伴い舟を浮かべてお互いに好きな和歌を創りあっていましたが、興が乗って時の過ぎるのも忘れ、知らない間に年を越し、この島から初日の出を迎えたのでした。 幽斎はこの時この島を年取島(としとりじま)と名付けたのです。 通勝は、のちの田辺城篭城のとき幽斎を助ける為に暗躍したそうです。 「藻塩草(もしおぐさ) かきあつめたる跡絶えて ただ年取りの 名のみのこれり」 |